普賢寺
ふげんじ
[現在地名]光市大字室積村
峨嵋山の北麓にあり、臨済宗建仁寺派。峨嵋山と号し、本尊普賢菩薩。
開創は寛弘三年(一〇〇六)、播州書写山(現兵庫県姫路市)の性空によるという。「普賢寺縁起」によれば、性空が摂津国江口の里(現大阪市東淀川区)で遊女に化現した普賢菩薩を拝した。その後周防室積に来た時、海中より引き上げられた普賢菩薩の像が、江口の遊女に化現した普賢菩薩と同じであったことから、大田和羅山(大峰山)に一堂を建て安置したのに始まるという。
この、性空が遊女に化現した普賢菩薩を拝したという説話は、鎌倉時代成立の「古事談」「十訓抄」などにあり、一般的な普賢菩薩の説話であるが、「撰集抄」には「性空上人発心並ニ女ヲ拝ム事」として、次のごとくある。
普賢寺
ふげんじ
[現在地名]多治見市大原町
高社山の東山裾にある。象王山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。信州松本の全久院一三世了然玄超が寛文一二年(一六七二)に開山。了然玄超は同八年大原の中切にあった瑞光院に入った(仙寿山全久院志)。瑞光院は香萼首座の開基といわれ、寛文初年には空坊となっていたらしい。その後了然玄超は現在の池原神社付近に堂宇を新築して移り、瑞光院から普賢寺と名称を改め全久院の末寺としたという。天和三年(一六八三)大原村庄屋から寺地を寄進され、北方の現在地に移転した。
普賢寺
ふげんじ
[現在地名]多気町神坂
金剛山麓にある。山号仏土山。天台宗。本尊普賢菩薩は平安前期の作で国指定重要文化財。ほかに十一面観音像があり、宝永七年(一七一〇)の棟札に「再興十一面尊像并堂起立所」と記している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
普賢寺
山口県光市、峨嵋山の北麓にある臨済宗建仁寺派の寺院。本尊は普賢菩薩。1006年創建と伝わる。枯山水の庭園は県指定名勝。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報