日本歴史地名大系 「穴田村」の解説 穴田村あなだむら 長野県:下水内郡豊田村穴田村[現在地名]豊田村大字穴田南の米山(よねやま)山塊と北の赤坂(あかさか)丘陵の間を東南に流れる斑尾(まだらお)川(上総(かずさ)川)の岸にある谷間の村。替佐(かえさ)・永江(ながえ)の中間に立地。東山道支道の通過地。谷筋道の替佐峠へ登って三ッ屋(みつや)(旧三俣)で、南方毛野(けの)川を経て上水内(かみみのち)郡赤塩(あかしお)・倉井(くらい)から北国脇往還へ通じる道を分岐する。毛野川は枝集落。小笠原長秀が市河頼房(刑部入道興仙)に与えた応永七年(一四〇〇)の施行状に「水内郡若槻新庄加佐郷内新居分門阿跡」(市河文書)とあり、寛文六年(一六六六)の検地帳に字あらいがあるので、穴田村の地は若槻新庄替佐郷内であったことがわかる。 穴田村あなだむら 大阪府:泉大津市穴田村[現在地名]泉大津市穴田長井(ながい)村の東にあり、慶長一〇年(一六〇五)和泉国絵図では我孫子(あびこ)村に含まれる。辻(つじ)村とともに長井村の出在家であったというが詳細は不明。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by