日本歴史地名大系 「窪庄・窪城庄」の解説 窪庄・窪城庄くぼのしよう・くぼのじようしよう 奈良県:奈良市都南地区窪ノ庄村窪庄・窪城庄弘安元年(一二七八)と考えられる窪庄百姓等申状(東大寺文書)に<資料は省略されています>とある。これによると、窪庄は東大寺三面僧坊領と考えられる。面積は一五町内であるが、そのうちに興福寺大乗院末寺の菩提山正暦(しようりやく)寺の別院正願院や同寺喜多(きた)院二階堂の負所もあったことがうかがえ、預所の存在も知られる。同年の窪庄預所実順請文(東大寺文書)によると、この時期、預所は実順で、東大寺僧と考えられるが未詳。百姓等申状は前年の大損亡により年貢の三分一を免除してほしいというものである。窪庄の所在は荘号からみると、現窪之庄(くぼのしよう)町に比定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by