立岩郷
たていわごう
中世の郷で、近世の熨斗戸組地域、現在の舘岩村域に比定される。現田島町とともに長江庄に属し、南山八郷の一つとして近世初期にも立岩郷の名称は使われている。郷名は森戸の西に立岩という高さ一五丈ほどの岩があることによるという(新編会津風土記)。森戸虚空蔵堂の応永一一年(一四〇四)五月一三日銘の鰐口に「奥州南山立岩円福寺」とある。同三〇年一一月の某軍忠状(皆川文書)によると、関東公方足利義氏が桃井宣義・宇都宮持綱を攻めた際、長江庄地頭の長沼義秀も参戦しており、「南山内立岩」を落ちていく途中の宇都宮氏の家人らを討取っている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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