立石新田(読み)たついししんでん

日本歴史地名大系 「立石新田」の解説

立石新田
たついししんでん

[現在地名]藤岡市立石新田

北境を烏(からす)川が東流し、東から南は新町(しんまち)宿(現多野郡新町)、南から西は立石村・中島(なかじま)村、北は群馬郡八幡原(やはたばら)村(現高崎市)・同郡宇貫(うぬき)村・那波(なは)郡角淵(つのぶち)村(現佐波郡玉村町)と接する。古くは伊勢島(いせじま)村・砂原(すなはら)村と称したが、烏川の度重なる水害を避け他村へ移住、延宝年間(一六七三―八一)に立石村の人々が再開発したという。元禄郷帳では前橋藩領、後期の御改革組合村高帳では幕府領、家数四九。中山道新町宿の助郷高一四四石を勤め(享保九年「新町宿助郷帳」田口文書)、文化一二年(一八一五)の尾張藩主帰国の際には御両懸人足割入場に人足三一人を出している(「新町宿人馬寄高并継立書上帳」内田文書)。寛保二年(一七四二)八月の大洪水では田畑残らず永川砂入となり、民家六〇軒ほどが流れ、残るは一〇軒余という有様で、流死八〇人余、流馬三〇疋余の大被害を受けた(「大洪水被害記事」須賀文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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