立花寺村(読み)りゆうげじむら

日本歴史地名大系 「立花寺村」の解説

立花寺村
りゆうげじむら

[現在地名]博多区浦田(うらた)一―二丁目・東月隈(ひがしつきぐま)四丁目・月隈六丁目・西月隈(にしつきぐま)四丁目・同六丁目・立花寺一―二丁目・立花寺

席田(むしろだ)郡に所属。竜花寺村とも書いた(慶長国絵図・正保郷帳)。御笠(みかさ)川中流右岸、那珂(なか)郡板付(いたづけ)村の西に位置する。東は糟屋(かすや)郡吉原(よしはら)村(現志免町)。康安二年(一三六二)一一月日の門司親尚軍忠状(門司文書/南北朝遺文(九州編)四)に「立花寺」とみえ、親尚は斯波氏経とともに豊前国の北部を転戦した後、当地や香椎(かしい)(現東区)・宗像の陣で警固をしている。天正一一年(一五八三)一月末から勝尾(かつのお)城(現佐賀県鳥栖市)城主筑紫広門の軍勢は当地の近隣に毎夜出撃し、民家に濫妨・狼藉を繰返したという(「立花家譜」など)。小早川時代の指出前之帳では立華寺村の田四一町二反余(分米四六〇石余)・畠一七町九反余(分大豆一三四石余)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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