斯波氏経(読み)しば・うじつね

朝日日本歴史人物事典 「斯波氏経」の解説

斯波氏経

生年生没年不詳
南北朝時代の武将。高経の次男,家長は兄。官途は民部少輔,のち左京大夫。観応擾乱後,反室町幕府方となった父高経,弟氏頼に代わって越前守護となる。延文5/正平15(1360)年将軍足利義詮に抜擢されて,九州探題に補任されたが,南朝軍の勢力が強く,力不足で,ようやく翌年大友氏時の支援を得て,豊後国府中に入ることができた。筑前に軍を進めたが,貞治1/正平17年9月,同国で菊池武光と戦い敗れて,周防に退き,帰京した。九州に在陣すること1年数カ月であった。帰京後は出家して嵯峨隠遁

(伊藤喜良)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斯波氏経」の解説

斯波氏経 しば-うじつね

?-? 南北朝時代の武将。
斯波高経(たかつね)の次男。足利義詮(よしあきら)につかえ,観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)で反幕府方となった父にかわって,越前守護となる。延文5=正平(しょうへい)15年(1360)九州探題に起用されて九州に布陣したが,南朝方の菊池武光(たけみつ)に敗れ,京都にもどり出家した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の斯波氏経の言及

【九州探題】より

…1336年(延元1∥建武3),九州に敗走した足利尊氏が,筑前多々良浜合戦で勝機を得,大挙東上する際,一色範氏を九州にとどめて幕府軍を統轄させたのが始まり。その後この職にあったのは,南北朝期は一色直氏,足利直冬,斯波氏経,渋川義行,今川貞世と転変するが,両朝合一後は代々渋川氏であった。
[南北朝期]
 初代鎮西管領一色範氏は,一族を軍事指揮者として九州各国に派遣したが,46年(正平1∥貞和2)子息直氏を下向させ,以後は父子一体となってその政務をとる。…

※「斯波氏経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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