朝日日本歴史人物事典 「立花種恭」の解説
立花種恭
生年:天保7.2.28(1836.4.13)
幕末の奥州下手渡藩(福島県)藩主,幕府官僚。嘉永2(1849)年藩主となる。大番頭を経て文久3(1863)年若年寄に上り,明治1(1868)年1月老中格,会計総裁となるが,徳川家の組織縮小に伴い罷免され同3月帰藩。次いで閏4月上洛。藩領の半分は筑後三池(福岡県)にあって,下手渡の藩士は奥羽越列藩同盟に参加,三池の藩士は新政府傘下にあり,藩は分裂。同年8月奥羽鎮撫の朝命を受けるが,これが同盟離脱とみなされ,仙台藩兵の攻撃で下手渡陣屋が焼失。翌9月三池に移る。明治2年三池藩知事。廃藩置県に伴い東京に移住。同10年華族学校(学習院)の初代校長。以来,宮内省用掛,貴族院議員などを歴任した。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報