立花 種恭
タチバナ タネユキ
- 肩書
- 貴院議員
- 生年月日
- 天保7年2月28日(1836年)
- 出生地
- 江戸・深川
- 経歴
- 嘉永2年奥州下手渡藩主となる。明治2年三池藩知事に任命されるが、4年廃藩置県により免職、東京に居住。10年華族学校(学習院)の初代校長を経て、宮内省用掛、貴族院議員などを歴任。
- 没年月日
- 明治38年1月30日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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立花種恭 たちばな-たねゆき
1836-1905 幕末-明治時代の大名,華族。
天保(てんぽう)7年2月28日生まれ。立花種善の甥(おい)。立花種温(たねはる)の養子となり,嘉永(かえい)2年陸奥(むつ)下手渡(しもてど)藩(福島県)藩主立花家3代。幕府の若年寄,外国奉行,会計総裁などをつとめた。明治元年筑後(ちくご)(福岡県)三池に転封(てんぽう)。廃藩後は華族学校(現学習院)初代校長。子爵,貴族院議員。明治38年1月30日死去。70歳。通称は鐘之助。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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