朝日日本歴史人物事典 「竹中重固」の解説
竹中重固
幕末の幕府官僚。重明の子。元治1(1864)年5月大番組頭。同10月陸軍奉行。慶応2(1866)年の第2次長州征討に洋式兵器で装備した幕府兵を率いて参軍。翌年10月若年寄並に進み陸軍奉行を兼ねた。王政復古の政変ののち会津・桑名両藩と薩摩藩征討の計画を練り,翌明治1(1868)年1月3日伏見方面の旧幕軍を統轄して新政府軍と戦うが敗北。江戸に帰ったのちの2月,恭順謝罪を決意した徳川慶喜により免職・登城禁止に処せられる。東北に走り会津救済を図るが挫折,仙台を経て箱館に逃れた。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報