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陸軍奉行 りくぐんぶぎょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

陸軍奉行
りくぐんぶぎょう

江戸幕府の職名文久2 (1862) 年幕府の軍制改革によって設置され,陸軍総裁のもとで,歩兵奉行,大砲組組頭,騎兵奉行を統轄する。初代奉行は黒羽藩大関増裕。明治1 (68) 年廃止

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デジタル大辞泉の解説

りくぐん‐ぶぎょう〔‐ブギヤウ〕【陸軍奉行】

江戸幕府の職名。幕府の歩兵・騎兵砲兵の統轄者。文久2年(1862)幕末の軍制改革で設置、慶応4年(1868)廃止。

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百科事典マイペディアの解説

陸軍奉行【りくぐんぶぎょう】

江戸幕府の役職。幕末の軍制改革で設けられ,1862年講武所奉行の下野国黒羽藩主大関増裕が任じられたのが初め。老中支配で場所高5000石,席次駿府城代の上,海軍奉行の下,のち若年寄並以上の者が就任。

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世界大百科事典 第2版の解説

りくぐんぶぎょう【陸軍奉行】

幕末の江戸幕府陸軍の指揮官。幕府は軍制改革の過程で1862年(文久2)西洋式の陸軍を編成し,その総指揮官として中将に相当する陸軍奉行職を設け,12月1日前講武所奉行大関忠裕(増裕)を任じた。68年(明治1)2月までに延べ10名が任命されたが,当初は空席の時期が多く,1864年(元治1)10月以降は常時1~3名が在任した。場所高5000石,席次は駿府城代の上だが,66年(慶応2)10月以後は若年寄並以上の者が就任した。

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大辞林 第三版の解説

りくぐんぶぎょう【陸軍奉行】

江戸幕府の職名の一。陸軍総裁の支配下にあって幕府陸軍を指揮・統轄する若年寄格の武官。1862年設置、68年廃止。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

陸軍奉行
りくぐんぶぎょう

幕末期、江戸幕府の軍制改革で設置された職名。1862年(文久2)の軍制改革案では海軍奉行に次ぐ第六位に置かれていた。同年12月1日設置、講武所奉行大関増裕(おおぜきますひろ)(1837―66。下野黒羽(しもつけくろばね)藩主)が任命された。陸軍奉行は高5000石とし、駿府(すんぷ)城代の上に列して歩・騎・砲の三兵を統轄した。初め1名であったが、ついで2名ないし3名が同時に任じられた。大関に次いで、土井利善(としよし)(三河刈谷(かりや)藩主)、竹中重固(しげかた)、神保(じんぼう)相徳、松平(大給(おぎゅう))乗謨(のりたか)(信濃田野口(しなのたのくち)藩主)、溝口勝如(かつゆき)、稲葉正巳(まさみ)(安房館山(あわたてやま)藩主)、石川総管(ふさかね)(常陸下館(ひたちしもだて)藩主)、浅野氏祐(うじすけ)、竹中重固(再任)が任命されている。再任の竹中の辞任は68年(慶応4)2月9日。[田中 彰]

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