竹之塚村
たけのつかむら
[現在地名]足立区竹の塚一―七丁目・西保木間一―四丁目・保塚町など
保木間村の南西に位置し、東は花又村、西は伊興村、南は六月村。東部を日光道中が通る。飛地が東方から南方にかけて多数分布する。東方の飛地は嘉兵衛新田に接し、ある程度のまとまりがある。田園簿に竹ノ塚村とみえ、田八六七石余・畑六〇石余、ほかに常楽寺領六石。元禄郷帳では高六五四石余に減少しているが、これは見沼代用水水系の水不足によると考えられている。河内与兵衛知親は千葉次郎某に従ったのち、当地に閑居していたが、慶長一七年(一六一二)幕府に出仕して代官となり、以後子の胤盛から旗本家として存続、明治に至った(「寛政重修諸家譜」など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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