日本歴史地名大系 「西光院」の解説
西光院
さいこういん
西光院
さいこういん
西光院
さいこういん
字
応永五年(一三九八)下総国の千葉氏一族の千葉式部大夫資胤が村内に
西光院
さいこういん
西光院
さいこういん
東に大谷津を望み、南に
その後、烟田氏の保護の下に発展、烟田旧記(続常陸遺文)天正六年(一五七八)三月一日に「西光院くるはの土突始卅日終候」、また同七年五月二一日に「万福寺永代西光院おちつき候 為御祝儀塙和泉被越申候」とみえる。さらに同一二年四月三日には「天下一の狂言大夫親も被越候、五日西光院にて五番狂言致候、八日大手門にて九番狂言致し、十日被払候其名をゑん藤四郎衛門と申者に候、塙右近・成田惣左衛門職申両三人けいこ被申候礼儀みの茶にいたし候」とみえ、烟田氏との関連がうかがわれる。
西光院
さいこういん
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報