日本大百科全書(ニッポニカ) 「竹保流」の意味・わかりやすい解説
竹保流
ちくほりゅう
尺八の流派名。関西宗悦(そうえつ)流(近藤宗悦)の分派、松調(しょうちょう)流(藤田松調)から独立し、1917年(大正6)初世酒井竹保が創始した流派。初世竹保(1892―1984)は大阪の商家の長男。本名政美。13歳ごろから尺八を吹き、18歳で松調に入門、翌年には松道(しょうどう)の名で尺八教授を開始した。しかし流の規約をめぐって師と対立、仲裁の労もむなしくついに独立。宗悦流の旧字譜(フホウ譜)を改良した独自の楽譜や、流祖作曲の新本曲(ほんきょく)や、明暗(みょうあん)古典本曲の伝承などにおいて、他流にない特徴をもつ。初世は1967年(昭和42)引退して竹翁と号し、2世をその長男に譲った。2世竹保(1933―1992)は諸井誠(もろいまこと)(1930―2013)の『竹籟(ちくらい)五章』などの現代曲を手がけて一世を風靡(ふうび)したが、志なかばで病に倒れ、1984年に実弟松道(1940― )が3代目宗家を継承した。松道の芸域も古典から近代曲、現代曲と幅広く、安定した流勢を保つ。
[月溪恒子]