20世紀日本人名事典 「竹内正策」の解説 竹内 正策タケウチ セイサク 明治期の陸軍中将 生年嘉永4年(1851年) 没年大正11(1922)年5月3日 出生地土佐国高知城下(高知県高知市) 経歴もと土佐藩士で、明治4年御親兵として上京し陸軍大尉。西南戦争、日清戦争に従軍、この間軍務局第2軍事課長、第1軍兵站参謀長、東宮武官、静岡歩兵第34連隊長、歩兵第12旅団長などを歴任。日露戦争では樺太に出征し、40年中将。41年待命となり以来静岡に住み在郷軍人団の指導に尽力した。大正4年渡米視察したこともあるが、のち結核を病み、11年5月自殺した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹内正策」の解説 竹内正策 たけのうち-せいさく 1851-1922 明治時代の軍人。嘉永(かえい)4年生まれ。もと土佐高知藩士。陸軍にはいり東宮武官,歩兵第三十四連隊長,歩兵第十二旅団長などを歴任。日露戦争では樺太(からふと)に出征し,帰国後中将にすすんだ。大正11年5月3日自殺。72歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例