竹原中郷村(読み)たけはらなかごうむら

日本歴史地名大系 「竹原中郷村」の解説

竹原中郷村
たけはらなかごうむら

[現在地名]美野里町竹原中郷

園部そのべ川の左岸に位置し、東は馬場ばば村。高原たかはら村とも称した。南北朝時代には下河辺行平の次男藤原景政が高原の地頭となり、下河辺氏自身も高原氏を名乗ったという。高原氏滅亡後は府中大掾氏の支配を受ける。弘安大田文の南郡に「竹原十五丁」とみえ、文保二年(一三一八)の御教書案並訴状(総社文書)に「南郡内於竹原郷」とある。永禄二年(一五五九)より天正一八年(一五九〇)までの約三〇年間は、府中大掾卓国の弟義国が竹原城を築いて竹原氏を名乗り、この地一帯を佐竹氏に対抗して支配した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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