朝日日本歴史人物事典 「竹本京枝」の解説
竹本京枝
生年:弘化3頃(1846)
明治時代に活躍した女義太夫の太夫。本名きゃう。名古屋生まれ。4代目竹本土佐太夫,花沢栄二に師事し,名古屋を拠点に活動。明治16(1883)年(15年とも)上京し,浅草の寄席で看板をあげ,好評を博す。名古屋の女義太夫中興の祖であり,東京における娘義太夫全盛期の下地を築いたといわれる。
(田中悠美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(田中悠美子)
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…しかし1837年(天保8)には,《娘浄瑠璃芸品定》という評判記が出版されるほどもてはやされたので,天保改革(1841)では弾圧を受け,36人が投獄された。明治の東京では素(す)浄瑠璃の形式で大流行するが,その基礎を作ったのは,82年に名古屋から再度上京した竹本京枝と,大阪で盛名をはせていた竹本東玉の東上(1885)である。やがて竹本綾之助や竹本住之助らの出現で女義太夫の隆盛を迎え,青壮年層を魅了し,客席からひいきの女義太夫に〈どうする,どうする〉と口拍子をかける熱狂的ファン・グループの〈どうする連〉を輩出させる。…
※「竹本京枝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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