朝日日本歴史人物事典 「竹沢藤治」の解説
竹沢藤治(3代)
幕末の曲独楽師。江戸の下谷に住む2代目藤治の子。前名は万治。宙乗りやからくりも取り入れて,独楽の芸を大劇場向きに改めた。弘化1(1844)年,父と共に西両国広小路で評判をとったのち,大坂をはじめ西国筋を巡業。嘉永2(1849)年再び両国へ出たとき,父は梅升と改名して万治に3代目を譲った。この興行で新藤治は,水中早替わりや独楽の中から三味線や箏を取り出すなど目新しい芸を演じ,7カ月間のロングランをとった。舞台での負傷が原因で,明治初期に没したようだ。嗣子の万治は明治7(1874)年浅草で大入りをとり,20年に4代目を襲名した。<参考文献>朝倉無声『見世物研究』
(倉田喜弘)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報