竹生町(読み)たけおちよう

日本歴史地名大系 「竹生町」の解説

竹生町
たけおちよう

延宝年間(一六七三―八一)の衣下町の図によると、挙母町の最も北にあり、美濃いわ(現岐阜県恵那郡)に抜ける岩村道への出口で、木戸が設けてある。この時の家数二二ですべて萱屋であり、座敷のある家が一軒ある。「七州城沿革小史」によれば寛延二年(一七四九)内藤氏の入部時には、家数四三、高は二六七石余である。この軒数の増加は、北端にある竹生町の位置から考えると、挙母町の広がりを示している。

寛延二年本多氏から内藤氏への所替引継文書(七州城沿革小史)のなかに「竹生町林釜洞鴻巣内山高根五ケ所川原藪挙母町根川ヨリ山回リ三人此給銭壱人ニ付十貫文宛遣候」とあるのは、挙母と根川ねがわ六ヶ村が共同で山の管理を行っていることを示す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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