日本歴史地名大系 「挙母城下」の解説
挙母城下
ころもじようか
矢作川西岸で、現高橋から久澄橋間の西側に広がる。挙母城(桜城)の北・東・南の三方を囲んで町並が形成され、城の西側は田地となっている。町と結んで北に延びる
寛延二年(一七四九)内藤氏入部によって初めて城が築かれたが、慶長一九年(一六一四)三宅氏支配の頃には、
延宝年間(一六七三―八一)の衣下町の図(別名延宝旧図、豊田市蔵)によると、町並の道幅三間半、一戸の間口は二・五―五間で、城下への主な出入口には、六ヵ所の木戸が設けられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報