竹留(読み)たける

日本歴史地名大系 「竹留」の解説

竹留
たける

中世にみえる彼杵そのき戸町とまち浦のうちの地名蚊焼の岳路かやきのたけろに比定される。正応二年(一二八九)七月日の深堀明心置文(深堀文書、以下同文書)に「たける」とみえ、明心(時光)戸町浦のうち当地の寺田一町から反別五升を作人が住持坊に納めることを定めている。正安四年(一三〇二)「戸町のうらのうち、たける」の寺田一町が深堀時願(時仲)から子の鬼丸に譲られ、僧となって父の供養をするように定められている(同年五月二四日深堀時願・同時通連署譲状)。なお時願が子の徳綱に譲った戸町浦のうち「たかはまあくり」の北に位置するという「たのこしま」は岳路沖の田子島の可能性がある(同日同譲状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む