日本歴史地名大系 「戸町浦」の解説
戸町浦
とまちうら
- 長崎県:長崎市
- 戸町浦
中世、
〔深堀氏と戸町氏の相論〕
地名を称する戸町氏は、古代より長崎半島西岸などに勢力を広げていた丹治姓一族であったとする説がある。正嘉元年(一二五七)深堀行光が「戸町内杉浦」での戸町氏の狼藉を訴えたが(同年閏三月三〇日関東御教書案など)、戸町氏側は翌二年に深堀氏こそ惣地頭得分を押領していると主張(同年一二月二六日彼杵庄惣地頭代後家尼某請文)、幕府は六波羅探題に命じて裁決をはかろうとしたが、戸町氏は数次にわたる催促に応じていない(正嘉元年一二月二四日および文永四年九月一九日六波羅御教書案など)。なお惣地頭代の後家尼某は、論所の一つ
弘安五年(一二八二)峯致道が本所一円地と称して宛行われた「戸八浦」内の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報