日本歴史地名大系 「笋町」の解説
笋町
たかんなちよう
中京区烏丸通錦小路下ル
南北に通る
平安京の条坊では、左京四条三坊三保一二町東側及び同一三町西側の地。平安中期以降は、四条烏丸小路の北にあたる。
室町中期、この地に酒屋「長幸」があった(「酒屋交名」北野天満宮史料)。
天文六年(一五三七)「年頭御拝礼参府濫觴之扣」(六角町文書)にみえる七町半組に含まれているはずだが、記録にない。
寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「たかの丁」とあり、以後中井家系の絵図はだいたいこれを踏襲する。一方、板行絵図類は「高名町」、町鑑では「たかのゝ町」とされ、いずれも宝暦―天明期(一七五一―八九)に「笋町」に統一される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報