日本歴史地名大系 「笠原阿弥陀堂」の解説 笠原阿弥陀堂かさはらあみだどう 長野県:伊那市笠原村笠原阿弥陀堂[現在地名]伊那市大字美篶 笠原 山梨往時は山梨(やまなし)耕地内の阿弥陀林と称する所にあったが、明治初年に現在地に移された。阿弥陀堂とよばれるが、本尊は薬師如来で、昔は十王堂ともよばれ、十王像が安置されていたという。山号・宗旨・開山・本末関係など不明。本尊の木造の薬師如来坐像は、その像内墨書銘に「暦応庚辰七月初八日」とあり、大願主知通らによって造立されたものである。暦応三年(一三四〇)という年は守矢貞実手記(守矢文書)によると、北条時行が同年六月二四日に伊那郡大徳王寺(だいとくおうじ)城に挙兵し、諏訪社上社の支援のもとに奮戦を続けたが、一〇月二三日に小笠原貞宗のために落城やむなきに至った戦争のあった年である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by