日本歴史地名大系 「笠幡村」の解説 笠幡村かさはたむら 埼玉県:川越市笠幡村[現在地名]川越市笠幡・的場(まとば)・川鶴(かわつる)・かわつる三芳野(みよしの)・伊勢原町(いせはらちよう)、鶴ヶ島市太田(おおた)ヶ谷(や)安比奈(あいな)新田の北西、小畔(こあぜ)川流域の低地および台地に立地。高麗(こま)郡に属した。貞治二年(一三六三)六月二五日の鎌倉府政所執事奉書(町田文書)に「武蔵国高麗郡笠縁」とみえ、年貢帖絹代を長井(ながい)庄の定使給物として森三郎に給付し、残余および未進分などについては直納すべき旨が北方地頭に命じられている。また翌年九月一八日にもほぼ同内容の命令が高麗彦四郎経澄に下されている(「鎌倉府政所執事奉書」同文書)。「笠縁」は「笠幡」の誤記と考えられる。地内の尾崎(おざき)神社に伝存する天文二〇年(一五五一)六月一五日の年紀がある懸仏の銘に「武州高麗郡笠幡尾崎宮」とみえ、また同年六月吉日の年紀がある懸仏銘には「大日本国武州高麗郡笠幡郷尾崎」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by