笹原田村(読み)ささはらだむら

日本歴史地名大系 「笹原田村」の解説

笹原田村
ささはらだむら

[現在地名]鹿沼市笹原田

くろ川右岸、大芦おおあし川左岸の丘陵上に位置。西は下沢しもざわ村、北は下遠部しもとおべ村、東は黒川を隔てて見野みの村・玉田たまだ村。日光山往古社領六十六郷の一つに「篠原郷」があり(日光山常行三昧堂新造大過去帳)、当地にあたるか。慶安郷帳では田九三石余・畑五六石余。輪王寺本には笹原村とみえる。寛永一二年(一六三五)から阿部重次領、慶安元年(一六四八)武蔵岩槻藩領。元禄郷帳では幕府領のみであるが、天明八年(一七八八)の日光新御領村々衆談一件(輪王寺文書)によれば、元禄一三年(一七〇〇)まで宇都宮藩領、同年日光領となっている。宝暦七年(一七五七)一部が日光領となり、同一〇年に幕府領分が下総佐倉藩領となる。


笹原田村
ささはらだむら

[現在地名]市貝町笹原田

石下いしおろし村の北東に位置し、西は市塙いちはな村。丘陵地が続き、山林が茂る。茂木もてぎに通じる道がある。慶安郷帳に村名がみえ、田一九八石余・畑五五石余で宇都宮藩領。寛文四年(一六六四)の同藩領知目録にも村名がみえる。元禄郷帳では高三一四石余で幕府領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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