茂木(読み)もてぎ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「茂木」の意味・わかりやすい解説

茂木(町)
もてぎ

栃木県南東端、芳賀郡(はがぐん)にある町。1889年(明治22)町制施行。1954年(昭和29)逆川(さかがわ)、中川、須藤(すどう)の3村と合併。真岡鉄道(もおかてつどう)の終点で、国道123号、294号が通じる。茨城県境の八溝(やみぞ)山地の西麓(せいろく)に位置し、コンニャクシイタケなどの園芸作物の生産が多い。「ニュータウンみのわ」など宅地開発も進んでいる。中世は茂木氏の城下町、近世には茂木藩の陣屋があり、古くは葉たばこの名産地であった。北部の那珂(なか)川沿岸は那珂川県立自然公園に、南部の逆川の山地は益子(ましこ)県立自然公園に指定され、ブドウ、クリなどの観光農園がつくられている。面積172.69平方キロメートル、人口1万1891(2020)。

[村上雅康]

『『茂木町史』全6巻(1995~2001・茂木町)』



茂木
もぎ

長崎市南東部の一地区。旧茂木町。長崎の中心市街地へは田上(たがみ)峠を経て、茂木街道を通ずる。橘(たちばな)湾に面し、天草(あまくさ)の富岡(とみおか)港へはフェリーを通ずる。半農半漁の地区で、ビワの出荷量は全国第1位で、茂木ビワの名で知られる。原木碑によれば、約150年前、中国南部から伝わった種子を地元の女性三浦シオ(1818―1897)が育てたという。

[石井泰義]

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改訂新版 世界大百科事典 「茂木」の意味・わかりやすい解説

茂木[町] (もてぎ)

栃木県南東端,芳賀郡の町。人口1万5018(2010)。町域の大部分は八溝(やみぞ)山地の西麓を占め,北部を那珂川が,また南から北へ那珂川支流の逆(さか)川が流れ,茨城県境で合流する。中心集落の茂木は真岡鉄道線の終点をなすとともに,国道123号,294号線が交差する交通の要地で,中世には茂木氏が居城した。幕末ころから葉タバコの生産が盛んで,1977年まで専売公社のタバコ工場が操業していた。1960年代後半から縫製,電子部品,カメラ部品の工場が進出し,タバコ工場跡は音響機器の工場となっている。農業の中心は米作だが,コンニャク,シイタケも生産される。人口減少が続き,過疎地域の指定を受けている。那須烏山市の旧烏山町にかけての那珂川流域は那珂川県立自然公園に指定され,釣りや川下りが楽しめる。国際規格のモーター・スポーツ施設〈ツインリンクもてぎ〉もつくられている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「茂木」の意味・わかりやすい解説

茂木
もぎ

長崎県南部,長崎市中部の旧町域。橘湾 (千々石湾) に面する。 1962年長崎市に編入茂木びわの特産地として知られるが,近年ミカン園が増加。茂木漁港は沿岸一本釣り漁業の基地で,生簀料理店が多く,長崎市郊外の高級料飲街をなす。天草下島の富岡港 (熊本県苓北町) との間に定期航路がある。

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百科事典マイペディア 「茂木」の意味・わかりやすい解説

茂木[町]【もてぎ】

栃木県南東部,芳賀(はが)郡の町。那珂(なか)川中流とその支流逆(さか)川流域を占め,山林が多い。中心市街は真岡(もおか)鉄道の終点で,中世〜近世城下町であった。米,コンニャク,シイタケの栽培が盛ん。東日本大震災で,町内において被害が発生。172.69km2。1万5018人(2010)。

茂木【もぎ】

長崎市南部の一地区。千々石(ちぢわ)湾に臨む漁港。古くからビワの主産地として知られ,近年はミカン,ナシも栽培。市の中心部から国道324号線が通じ,天草諸島へ航路がある。

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デジタル大辞泉プラス 「茂木」の解説

茂木

長崎県、鹿児島県、香川県などで多く生産されるビワ。果実の大きさは30~40グラム程度、果皮は橙色で肉質はやわらかく甘味が強く、酸味は少なく食味良好。国産ビワの主要品種で、江戸時代に中国からもたらされたといわれる。

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世界大百科事典(旧版)内の茂木の言及

【鎖国】より

…しかし,この禁令では神仏を妨げないかぎり,貿易と〈きりしたん国〉との往来は自由とされていた。秀吉の突然の禁令の背景には,長崎,茂木が教会領となっていたことへの反発があったと考えられている。1580年肥前の領主大村純忠・喜前(よしあき)父子は長崎,茂木をイエズス会に寄進し,その土地所有権,行政権,裁判権とポルトガル船の停泊税が会の手に渡り,大村氏の手にはわずかに入港船の貿易税徴収権が留保されるにとどまった。…

【長崎[県]】より

…養豚は飼育頭数22万頭(1996)で90年をピークに減少している。急傾斜地の多い本県では,早くから果樹生産が行われ,とくに長崎市茂木(もぎ)地区のビワは明治末以降商品作物として発展し,全国1位(3割弱。1995)を占める。…

【肥前国】より

…そして同じ大村領内の福田港,さらにその奥の長崎港に入港するようになり,長崎はその後貿易,布教の中心地として発展することになった。大村純忠は長崎を竜造寺氏に奪われることを防ぐためと,ポルトガル船の長崎入港を固定化する目的で,79年長崎と茂木(もぎ)をイエズス会の教会領として寄進した。また有馬晴信も84年浦上を同じく寄進した。…

【ビワ(枇杷)】より

…それは日本に自生のビワで,現在の栽培品種と比べ果実が小さく,食用としての利用価値は低かったと考えられる。果実としての利用が高まったのは大果品種の茂木(もぎ)が育成されてからのことである。茂木は天保・弘化(1830‐48)のころに,貿易船によって中国から長崎にもたらされた果実の種子から育成されたものである。…

※「茂木」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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