日本歴史地名大系 「笹賀地区」の解説 笹賀地区ささがちく 長野県:松本市笹賀地区松本藩時代の出川(いでがわ)組の神戸(ごうど)・神戸新田(ごうどしんでん)・二子(ふたご)と、塩尻(しおじり)組の今(いま)村・小俣(こまた)の五ヵ村の地域で、合して明治七年(一八七四)笹下(ささげ)村、のち笹賀村となった。名称はこの地が古代、松本を中心に置かれた皇室領の荘園捧(ささげ)庄の一部であるということで、その音にちなんだ。松本市の中央やや南に位置し、南北九キロ、東西二キロの細長い地域。東方芳川(よしかわ)村との村境に沿って木曾川(奈良井(ならい)川)が南から北に流れる。土地は平坦で南端今集落の洪積層段丘地帯は標高六七〇メートル、その東川床に近い水田の沖積層地帯はそれより一五メートル低い。この段丘は北へ向かって低くなっていて、神戸新田の西側では同一平面となる。この沖積層は神戸を経て下二子(しもふたご)に至り、鎖(くさり)川を隔てて島立(しまだち)地区と対している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by