日本歴史地名大系 「等持寺跡」の解説 等持寺跡とうじじあと 京都市:中京区初音学区杉屋町等持寺跡足利尊氏の創建で、足利家の菩提寺となった寺院。室町時代には十刹の一。「康富記」応永三二年(一四二五)五月二日条に「等持寺御八講初日也、(中略)参八講堂二条南万里小路西也」とあり、同書宝徳二年(一四五〇)七月一〇日条に「等持寺三条坊門万里小路仏殿立柱上棟也」とみえる。また「蔭涼軒日録」文明一九年(一四八七)一月二四日条に「又問曰、当寺封疆南北如何、愚白二町計、又曰、東西如何、愚白一町許」とあって、二条南、三条坊門(ぼうもん)北、万里(までの)小路西、高倉(たかくら)東の東西一町・南北二町の寺域で、これは現京都市中京区の杉屋(すぎや)町・竹屋(たけや)町・扇屋(おうぎや)町および等持寺町・虎石(とらいし)町の西側、瓦(かわら)町・柊(ひいらぎ)町の東側の地にあたる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by