箕坪城跡
みのつぼじようあと
城山(二八八メートル)に築かれた中世の山城跡。平戸松浦氏の支城とされる。文明一八年(一四八六)兄の松浦弘定と対立していた弟の昌(田平峰家を継ぐ)はその田平里城(現田平町)を攻められ、高来郡に敗走して有馬貴純を頼り、名を純元と改め、延徳三年(一四九一)田平に入るために有馬氏の援助を得て大村純伊・相神浦定らの軍勢とともに進軍。このとき御厨(現松浦市)にいた弘定は急ぎ平戸に入るが、有馬の軍勢をみて平戸勝尾岳城での合戦を避けて当城に籠城した。弘定側は大島胤政父子のほか津吉氏・加藤氏・一部氏・山田氏らにとどまる軍勢であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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