日本歴史地名大系 「箕形村」の解説 箕形村みがたむら 大阪府:和泉市箕形村[現在地名]和泉市箕形町・弥生(やよい)町二丁目寺田(てらだ)村の南、松尾(まつお)谷の谷口に位置し、松尾川が村内を北西流する。松尾川以南を上出(かみで)、以北を下出(しもで)という(大阪府全志)。当村を含めこれより南の松尾川沿いを松尾谷といい、唐国(からくに)村・内田(うちだ)村・松尾寺(まつおじ)村・春木(はるき)村・久井(ひさい)村・若樫(わかかし)村・春木川(はるきがわ)村がある。建武五年(一三三八)七月一六日の日根野道悟軍忠状(日根文書)によれば、同年五月二二日箕形城で南北両朝軍の攻防があった(→観音寺村)。箕形城は同年南朝方により築造されたものであったが、日根野道悟に攻められて落城、廃虚となったという(大阪府全志)。 箕形村みかたむら 長崎県:下県郡美津島町箕形村[現在地名]美津島町箕形洲藻(すも)村の西にあり、外浅海(そとあそう)から湾入した細い入江に臨む。浦の東側は峻険な城(じよう)山がそそり立ち、北側の岬に古い石棺の遺跡がある。南に遠見(とおみ)岳がある。康正二年(一四五六)五月日の某所領注文(宗家判物写)に「みかたのとい」とみえ、二六ヵ所が平右衛門の知行とされた。文明三年(一四七一)「ミかたのかま」など一一ヵ所が宗中務少輔に安堵され(同年閏八月一五日「宗貞国安堵書下」馬廻判物帳)、地内に塩竈(しおがま)神社の祭祀もあり、塩焚きが行われていた。「海東諸国紀」に記載がないのは脱漏という。「郡方毎日記」寛永一五年(一六三八)条に「みかた」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報