箕田郷(読み)みだごう

日本歴史地名大系 「箕田郷」の解説

箕田郷
みだごう

荒川と荒川に挟まれた、現箕田とその周辺地域に比定される。建武二年(一三三五)二月一四日の右馬允政季打渡状(極楽寺文書)によれば、「足立郡箕田郷内」の「今富西方村」一〇〇貫文の地が鎌倉極楽寺新宮社に寄進され、この日同寺に打渡された。「今富西方村」の比定地は不詳だが、それまでは岩佐七郎の知行地であった。応安元年(一三六八)八月二一日、鎌倉公方足利金王丸(氏満)から天下安全・武運長久のために鎌倉鶴岡八幡宮に「武蔵国箕田郷地頭職内河連村除寺社領并人給地」が寄進された(「足利金王丸寄進状」鶴岡八幡宮文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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