築捨村(読み)つきずてむら

日本歴史地名大系 「築捨村」の解説

築捨村
つきずてむら

[現在地名]大垣市築捨町・問屋町といやまち

水門すいもん川と新規しんき川に挟まれた平坦地、大垣輪中の南部に位置し、北は禾森のぎのもり村。「新撰美濃志」は「此あたり堰川多く堤を築きたるゆゑさる村名の残りしにや」とする。正保元年(一六四四)禾森村荒地の開拓により築捨新開が成立。正保郷帳では禾森村の村高のほかに、「築捨新開」がみえ、大垣藩領(幕末まで変化なし)、田高一千五七石余・畑高九二石余。貞享二年(一六八五)の大垣領村々高帳では高九六八石余。元禄一一年(一六九八)枝郷西築捨が分村したため、本村は東築捨村と称したとされるが、元禄郷帳には筑捨村(元禄郡高寄帳などでは築捨村)とみえ、高九九八石余。宝暦五年(一七五五)の大垣藩筋分高附帳(大角文書)では築捨村五六七石余・西築捨村四〇二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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