篠塚館跡(読み)しのづかやかたあと

日本歴史地名大系 「篠塚館跡」の解説

篠塚館跡
しのづかやかたあと

[現在地名]邑楽町篠塚

篠塚集落のほぼ中央、字馬場ばんばにある。「邑楽郡町村誌材料」によれば、元弘(一三三一―三四)頃、武蔵国の住人畠山庄司次郎重忠六代の孫篠塚伊賀守平重弘(広)が当地に居を構え住んだという。「邑楽町誌」によると、方約七〇メートルの屋敷構えの四周にさらに塁濠があったというが、現在では痕跡を求めるに困難である。館跡の西部、古樹うっそうたる中に毘沙門堂があり、ここが大手門跡という。西南外にある八幡社は重広の娘で新待賢門院に仕えた伊賀局が、父の没後創建したものという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む