篠塚館跡(読み)しのづかやかたあと

日本歴史地名大系 「篠塚館跡」の解説

篠塚館跡
しのづかやかたあと

[現在地名]邑楽町篠塚

篠塚集落のほぼ中央、字馬場ばんばにある。「邑楽郡町村誌材料」によれば、元弘(一三三一―三四)頃、武蔵国の住人畠山庄司次郎重忠六代の孫篠塚伊賀守平重弘(広)が当地に居を構え住んだという。「邑楽町誌」によると、方約七〇メートルの屋敷構えの四周にさらに塁濠があったというが、現在では痕跡を求めるに困難である。館跡の西部、古樹うっそうたる中に毘沙門堂があり、ここが大手門跡という。西南外にある八幡社は重広の娘で新待賢門院に仕えた伊賀局が、父の没後創建したものという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む