篠島城跡(読み)しのじまじようあと

日本歴史地名大系 「篠島城跡」の解説

篠島城跡
しのじまじようあと

[現在地名]南知多町篠島 東山

篠島の東端、標高約四〇メートルのひがし山にあった。遺構はないが約九〇平方メートルの平坦な場所に想定される。治承年代(一一七七―八一)須佐すさの須細為基らとともに源氏方として源頼朝に味方した室賀左近大夫秋季が築城したと伝えるが、その年代・構造などは不明(篠島史蹟)。延元三年(一三三八)後醍醐帝の皇子義良親王乗船が難破して島に漂着した時、島民古城を修理して親王の居城とした(雑志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 シロ 廃寺 須佐

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む