日本歴史地名大系 「篠島」の解説
篠島
しのじま
とある
平城宮跡出土の木簡に「参河国幡豆郡篠嶋海部供奉正月料御贄参籠ニ別六斤」、同じく「参河国幡豆郡篠嶋海部供奉七月料御贄参籠並佐米」や「参河国幡豆郡篠嶋海部供奉五月料御贄佐米楚割□斤」など計六枚が発見された。これによると三河国
延元三年(一三三八)九月、南朝の義良親王(後村上天皇)一行は兵船五〇〇艘を率いて東国に向かったが、難破して船は各所に漂着(太平記)。「新葉集」巻九に載る前大僧正頼意の歌の詞書によれば、このとき親王の船は「伊勢の国篠島といふ所」に漂着、伝えによれば約六ヵ月間島にとどまり吉野に帰還した。この時村民は篠島城を修理して宮の住居とした。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報