簀子町(読み)すのこまち

日本歴史地名大系 「簀子町」の解説

簀子町
すのこまち

[現在地名]中央区大手門おおてもん一―三丁目

福岡城下六丁筋西端の町。東西に延びる通りの両側町で、福岡城の北に位置し、東は大工だいく町、南は大名だいみよう堀端ほりばた、西は荒戸通あらととおり町、北は博多湾に臨む。北側西端町裏に浄土宗鎮西派円応えんのう(現浄土宗)があり、その北に紙役所・炭役所・作事所が、同寺の北西には福岡藩の米蔵であるなが(永蔵)が置かれていた(以上、福岡博多近隣古図など)。大工町との境に制札場・人馬継所がある(続風土記附録)町名は町の北の海中に簀石という大岩があったことにちなむ(続風土記)。元禄三年(一六九〇)の家数八八(同書)。寛政期(一七八九―一八〇一)の家数七一(うち酒家一・麹家一)、馬六(別本「続風土記附録」)。前掲古図では家数九三・人数五三二、間数三一九間余。貞享二年(一六八五)一月、福岡城内で松囃子を行った博多金屋かなや町・たて(竪町)の者が簀子町の大勢と喧嘩となり、当町の者七人が籠舎となっている(津要録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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