米ヶ袋渡戸
こめがふくろわたど
「封内風土記」「奥陽名数」にいう三渡戸の一つで、霊屋橋下流の米ヶ袋十二軒丁から広瀬川対岸の御霊屋丁に渡す。米屋袋渡ともいい、宝暦年間(一七五一―六四)に開かれた舟渡しであった(封内風土記)。賃銭が一人につき片道三文であったので三文渡と俗称された。「残月台本荒萩」にも片道三文とあり、自分渡し(個人経営)であった。東海道を北上してくる上方の旅人は対岸の険阻な坂であった鹿落坂を越え、当渡しを渡り仙台城下に入ったが、「封内風土記」によると瑞鳳殿下には土橋が架けてあり、長さ五間半、幅一間半のものと、長さ六間半、幅一間半のものとがあった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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