日本歴史地名大系 「米之宮浅間神社」の解説 米之宮浅間神社よねのみやせんげんじんじや 静岡県:富士市旧富士市地区本市場村米之宮浅間神社[現在地名]富士市本市場本市場(もといちば)集落の北部に鎮座する。祭神は浅間第八御子神・浅間第十八御子神。旧郷社。中世加島(かじま)庄の中心的神社とみられ、戦国期には同庄内に所領を与えられていた富士浅間社(富士山本宮浅間大社)大宮司の富士氏の支配下にあったと考えられる。天正一八年(一五九〇)一二月二八日、豊臣秀吉は富士浅間社大宮司に加島郷の高一六二石余を安堵、うち七九石余は加島流鏑馬料とされていた(「豊臣秀吉朱印状写」大宮司富士家文書)。徳川家光も寛永一八年(一六四一)富士浅間宮領として本市場村の高七六石余、蓼原(たでわら)村の高三〇石ほかを安堵しており、うち「加島流鏑五騎」料は七五石であった(「徳川家光朱印状写」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by