日本歴史地名大系 「米坂村」の解説
米坂村
よねざかむら
[現在地名]大内町米坂
寛永二年(一六二五)の油利之内修理大夫様御知行御検地帳免定之目録写に高四〇石九斗五合、納米二八石六斗三升三合、免七ツとあり、小村ながら高免の地であった。同年の田畑の比率は石高のうえで六八パーセント、三二パーセントとなっており畑の割合が高い(「米坂村検地帳」秋田県林業史)。正保三年(一六四六)の出羽国油利郡内高目録(秋田県庁蔵)に四〇石とあり、「旱損所 柴山有」と記され、水利に恵まれなかった。高四〇石はすべて田方で、畑はなかったように記されるが、部落有文書として保存される寛永二年および慶安二年(一六四九)の検地帳の記載とは一致しない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報