米戸村(読み)こめどむら

日本歴史地名大系 「米戸村」の解説

米戸村
こめどむら

[現在地名]佐倉市米戸

直弥なおや村の東に位置し、北は下勝田しもかつた村。南部なんぶ川の支流に沿う。慶安三年(一六五〇)当時は佐倉藩領で、堀田氏家臣天野・太田・小嶋・玉井・持岡・増沢各氏によって検地が行われた(「検地帳写」藤崎家文書)。同検地帳写によれば名請人一三。「寛文朱印留」では佐倉藩領で、以後幕末まで同じ。元禄郷帳では高一七〇石余。享保一六年(一七三一)には幕府代官小宮山昌世により新田検地が行われ、幕府領の高一二石余が打出された(「新田検地帳」佐倉市保管文書)。寛延二年(一七四九)の佐倉藩領村高覚によれば元禄郷帳と同高で、夫役永四六九文余・林下草刈銭鐚三〇〇文・山銭鐚二貫八五七文。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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