米沢新村(読み)よねざわしんむら

日本歴史地名大系 「米沢新村」の解説

米沢新村
よねざわしんむら

[現在地名]立山町米沢

江崎新えさきしん村の西に位置し、北は沢端新さわはたしん村、西は松本まつもと開。明暦二年(一六五六)の村御印留に村名がみえ、寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高六五石、免三ツ、明暦二―三年の新田高二二石(三箇国高物成帳)。天明四年(一七八四)の仁右衛門用水水下銀仕立覚(杉木家文書)では高一四三石・銀高三〇匁余、同用水の水当高覚(同文書)では七四石余。享和三年(一八〇三)仮名付帳(加越能文庫)によれば、寺田てらだ若宮わかみや村の枝村とされる。所属組は芦峅寺あしくらじ村と同じ。天保一一年(一八四〇)の高免帳(杉木家文書)では元禄一三年(一七〇〇)の増高二〇石をはじめ新開によって高は漸増し、天保九年の増高一五一石を加え、打銀高三二四石余・定免三ツ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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