米満保(読み)よねみつほ

日本歴史地名大系 「米満保」の解説

米満保
よねみつほ

米満新免とも記されることから上田上新免かみたなかみしんめの地にあったと推定される。本家は坂本日吉社、領家は梶井門跡と考えられる。寛喜元年(一二二九)八月一一日の後堀河天皇宣旨(門葉記)に近江国「米満新免」とみえ、保延三年(一一三七)領主の憲覚から坂本日吉社の二宮の二季講用途として寄進された。そのとき領主職は留保されて経全へ伝領され、経全より師である仁慶に寄進され、さらに尊性親王に伝領された。正中二年(一三二五)一一月、梶井門跡の承鎮法親王から日吉社領「近江国米満保」が護良親王(後醍醐天皇の子)に譲られている(「承鎮法親王付属状」三千院文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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