日本歴史地名大系 「新免村」の解説 新免村しんめんむら 大阪府:豊中市新免村[現在地名]豊中市本(ほん)町一―九丁目・玉井(たまい)町一―四丁目・上野西(うえのにし)一―二丁目・岡上(おかかみ)の町一―四丁目豊中台地の北西端、千里(せんり)川が桜井(さくらい)谷を抜け出た所の南岸低地から台地にかけて村域がある。桜井谷の内田(うちだ)村・柴原(しばはら)村・南刀根山(みなみとねやま)村の南にあたり、西は箕輪(みのわ)村、南は当村枝郷轟木(とどろき)村。集落(現本町三丁目)は能勢(のせ)街道(池田道)沿いに展開する。永享元年(一四二九)八月日の春日社神供料所摂州桜井郷本新田畠帳(今西家文書)の耕作者を示す地名肩書に「新免」がみえる。次いで康正三年(一四五七)五月一二日の大乗院領反銭注文(福智院家文書)に「新免 参貫四百卅五文」とみえ、当地に奈良興福寺大乗院領があった。また長享三年(一四八九)五月六日の大乗院家築地修理反銭文書(同文書)には「吉善新免庄 二貫文」とみえる。一方摂関家も当村の知行にかかわっており、「後法興院記雑事要録」文明一〇年(一四七八)条によれば、当村から米七石、麦一六石を摂関家に納めている。また同書文明一五年条には「摂州新免禅閤様御料所」とあり、禅閤様すなわち藤原持通の料所であった。 新免村しんめんむら 広島県:神石郡油木町新免村[現在地名]油木町新免、比婆郡東城(とうじよう)町新免東城川を挟んで小野(おの)村の西に位置し、北は比婆郡、南は帝釈(たいしやく)川を挟んで西油木(にしゆき)村に対する丘陵上の村。村内の田川瀬(たこうせ)―藤野呂(ふじのろ)(路)を東城路が通る。西の三坂(みさか)村(もと神石郡に属した。現比婆郡東城町)とともに古代三坂郷(和名抄)に属したとされ、両地域にわたって数十基の古墳がある。文明三年(一四七一)六月一六日の西国寺不断経修行勧進并上銭帳(西国寺文書)に「新免衆」分として「五百文 輪蔵院兼成 百文 小林寺兼秀 百文 宥良」とみえる。 新免村しんめむら 滋賀県:大津市南部地域新免村[現在地名]大津市上田上新免町(かみたなかみしんめちよう)大戸(だいど)川を挟んで堂(どう)村の南東にある。地名は中世に米満(よねみつ)新免(米満保)が置かれたことに由来する。江戸期を通じて膳所藩領。寛永石高帳に村名がみえ、高一九四石余、ほか銀一〇貫匁など。慶安高辻帳では田一一〇石余・畑六石余、永荒七七石余、小物成銀一一匁。旧高旧領取調帳では二二〇石余。 新免村しんめんむら 広島県:比婆郡東城町新免村[現在地名]東城町新免、神石(じんせき)郡油木(ゆき)町新免⇒新免村(神石郡) 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by