粕田村(読み)かすだむら

日本歴史地名大系 「粕田村」の解説

粕田村
かすだむら

[現在地名]真岡市粕田・松山町まつやまちよう

南と東はなか村に接し、西は鬼怒川堤防に接する水田地帯である。広い川原を有していたため寺分てらぶん村とともに同所を切開くが、耕地は繰返し流失した。天正一八年(一五九〇)二月二〇日の宮内少輔判物(石川文書)宛先に「かす田百姓中」とみえ、武井殿への本年貢として、近年の二割を納入すればよいと指示している。


粕田村
かすだむら

[現在地名]大館市粕田

大館盆地北端部、南流する下内しもない川上流右岸に位置する。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に一五五石とみえる。享保一四年(一七二九)の黒印高帳(秋田県庁蔵)では本田二〇四石余、本田並六六石余、新田一四〇石余。寛政六年(一七九四)の六郡惣高村附帳には当高二四一石余とあり、蔵分・給分はほぼ半数ずつを占める。江戸後期の村勢は寛政一二年五三戸、二六〇人、安政四年(一八五七)八一戸、四八五人、同七年八九戸、四八七人(大館市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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