粟野城跡(読み)あわのじようあと

日本歴史地名大系 「粟野城跡」の解説

粟野城跡
あわのじようあと

[現在地名]粟野町口粟野

口粟野くちあわのの北集落の西台地上にあり、一部は現在城山しろやま公園となっている。暦応元年(一三三八)佐野氏の家臣平野将監範久が築城したとの説もあるが、永徳二年(一三八二)小山義政粕尾かすお城で敗北したのち、当地方が佐野氏の進出するところとなり、皆川氏勢力への対抗として築かれたものであろう。天正年間(一五七三―九二)佐野氏は小田原北条氏と結び、上杉氏の南下に対していた。一方西方にしかた・粟野地方へは南から皆川広照が勢力を伸ばし、天正一二年北上した北条氏直と戦いを交えたのち、同一六年佐野氏を破り当城を奪取、落合徳雲入道を城代としたという(「皆川正中録」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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