日本大百科全書(ニッポニカ) 「皆川藩」の意味・わかりやすい解説
皆川藩
みながわはん
江戸時代前半期に下野(しもつけ)国都賀(つが)郡皆川(栃木県栃木市皆川)に居城を置いた譜代(ふだい)藩。皆川は中世以来の豪族皆川氏の本拠で、広照(ひろてる)が1590年(天正18)徳川家康に付属し1万3000石の本領を安堵(あんど)され皆川藩が成立したが、1603年(慶長8)信州(長野県)飯山(いいやま)へ転封となり廃藩となる。その後1640年(寛永17)松平(能見(のうみ))家が入り1万0500石の親藩(しんぱん)が成立。重則(しげのり)、重正、重利と在封したが、1665年(寛文5)無嗣(むし)除封され廃藩となる。ついで1699年(元禄12)若年寄の米倉昌尹(よねくらまさただ)が1万5000石と加増され皆川藩が復活したが、1722年(享保7)武蔵(むさし)(神奈川県)金沢(かねさわ)に転封、廃藩となった。
[奥田謙一]
『日向野徳久著『北関東における一封建都市の研究』(1959・自家本)』▽『『栃木県史 通史編4 近世1』(1981・栃木県)』