粟野頼之祐(読み)アワノ ライノスケ

20世紀日本人名事典 「粟野頼之祐」の解説

粟野 頼之祐
アワノ ライノスケ

昭和期の歴史学者



生年
明治29(1896)年11月3日

没年
昭和45(1970)年8月23日

出生地
兵庫県

学歴〔年〕
青山学院高等部人文科〔大正9年〕卒,オハイオ州立ウェストレアン大学(米国)〔昭和5年〕卒,コロンビア大学大学院〔昭和8年〕修士課程修了

主な受賞名〔年〕
日本学士院賞〔昭和26年〕「出土史料によるキリシア史の研究

経歴
渡米して大学卒業後、昭和8年からハーバード大学で研究を続け、14年ボストン美術館東洋部に勤めた。16年帰国、26年関西学院大学教授となる。この年に著書「出土史料によるギリシア史の研究」で学士院賞受賞。わが国の西洋古代碑文(金石文)学、パピルス学研究の開拓者で、アレキサンダー大王、アレキサンドリア市についての優れた論文がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「粟野頼之祐」の解説

粟野頼之祐 あわの-らいのすけ

1896-1970 昭和時代の西洋史学者。
明治29年11月3日生まれ。昭和2年渡米,ハーバード大などでまなんだのち,ボストン美術館に勤務。16年帰国,26年関西学院大教授となる。西洋古代碑文学,パピルス学などを研究,26年「出土史料によるギリシャ史の研究」で学士院賞。昭和45年8月23日死去。73歳。兵庫県出身。青山学院高等部卒。旧姓は平尾。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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