糀町(読み)こうじまち

日本歴史地名大系 「糀町」の解説

糀町
こうじまち

[現在地名]米子市糀町一―二丁目・昭和町(しようわちよう)

道笑(どうしよう)町の北にあり、北東へ延びる伯耆街道両側の町人町。ほぼ中央を西へ加茂(かも)川が流れ橋が架かる。表通り総間数二二九間。ほかに姫路屋(ひめじや)小路・高島屋(たかしまや)小路・博労町境(ばくろうまちざかい)小路が分れていた。姫路屋小路は一九間、高島屋小路は二一間、博労町境小路は四五間(明治二年「町々間数等書上」米子市史)。宝永六年(一七〇九)の伯耆国米子平図(県立博物館蔵)、享保五年(一七二〇)の湊山金城米子新府(同館蔵)などではいずれも新(しん)町とあり、江戸中期頃までは新町と称していた。元禄八年(一六九五)の米子町中竈之覚(米子市史)では家持八三軒・借家七四軒。

その後町禄として糀商株を許されていたことから糀町と改称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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