日本歴史地名大系 「糸割符会所跡」の解説 糸割符会所跡いとわつぷかいしよあと 大阪府:堺市堺蔵屋敷町糸割符会所跡[現在地名]堺市櫛屋町東二丁糸割符会所は糸会所・長崎会所ともよばれ、糸割符商人を統轄する糸年寄らの事務所で、菅原(すがわら)神社の北、現在の殿馬場(とのばば)中学校の西にあった。会所は宝暦一三年(一七六三)頃、諸株仲間の株会所を譲り受けたもので、それ以前は菅原神社の東、天神東片原(てんじんひがしかたはら)町の南端にあった。糸割符とは輸入生糸における貿易統制で、幕府は慶長九年(一六〇四)に堺・京都・長崎の特定商人に糸割符仲間をつくらせ、輸入生糸を一括購入させた。この時の割当高は京都・長崎一〇〇丸に対して、堺は一二〇丸と三市中第一を占めた(糸乱記)。のちに江戸(一〇〇丸)・大坂(五〇丸)の商人も加わって糸割符仲間は五ヵ所商人ともよばれた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by