糸我王子跡(読み)いとがおうじあと

日本歴史地名大系 「糸我王子跡」の解説

糸我王子跡
いとがおうじあと

[現在地名]有田市糸我町中番

熊野街道が糸我坂にかかろうとする山手左側の畑の中に跡地がある。熊野九十九王子の一。「後鳥羽院熊野御幸記」建仁元年(一二〇一)一〇月九日条に「次参いとカ王子、又凌嶮岨昇いとか山」とあるが、「中右記」にはみえないので、天仁二年(一一〇九)以後の創祀か。四辻殿御記(民経記)承元四年(一二一〇)四月二五日条には「次入御宮原御所、(中略)有田河御渡国司儲御船如紀伊川、糸我・逆川王子御参如常」とある。江戸時代には中番なかばん集落のほぼ中央部、街道東側の高所に別にみず王子が祀られており、もとの糸我王子は上王子と通称されるようになる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む